REPORT
活動報告
2025.12.01
マゼルバ
【はやちゃんのぼちぼちいこか】令和7年12月号
『 1・2年生の宿題 』
今年も残すところ早一ヶ月、子どもの頃は歳末の活況が大好きでした。しかし近頃では、やり残し感ばかりが頭をよぎり、早く年末過ぎろと願う今日この頃です。令和7年は万博や高市新内閣が世間を賑わしました。皆さんは、どんな一年を過ごされましたか。
今年は学童保育で、1・2年生の宿題をみる機会がよくあります。これがなかなか面白い、こんな事がありました。1年生に漢字の読みの間違いを指摘するのですが、自分は絶対正しいと言い張り、その根拠を見せてきました。読みには確かに〇が付いています。明らかに先生の誤りです。彼の主張も無理ありません(それにしても先生の影響力は大きい)。結局、読みは〇のままでした。又、間違いの一字だけを書き直せば良いと言っているのに、なんとそのページを全部消して始めからやり直したり、自分の宿題はほったらかしで、それ知ってる知ってると友だちの宿題を手伝うやら、算数の問題を普通に説明しているだけなのに、急に涙がポロリ(説明がどうしても分からず悔し泣き?)、消しかすを集める為だけに、消しゴムをごしごしこするわ(丸めて大きな鼻くそ?を作るため)、引き算の問題に自分の手だけでは足りず、私の両手を引っ張り出す等々、予想外の事が陸続と出てきます。そんなこんなですが、身に覚えのあることもあり、これやったやったと昔を懐かしんでいます。
これらの多くは男子の話しですが、こんな場面にも出会いました。一人の男の子と算数の問題をやり始めました。ところが彼は答え以前に、問題の意味が分かっていません。そこで問題文の説明から始めました。すると隣にいた同じ学年の女の子が、その様子に興味を持ち、急にいっしょになって説明を始めたのです。すでに自分はやり終えた所なので、自信もあったのでしょう。そこでしばらく様子を見守る事にしました。彼女は文や単語の意味を自分なりに説明するのですが、彼にはなかなか理解してもらえません。ヒントを出したり説明の方法を変えたり一生懸命です(説明は的をえていました)。しかしどうしても彼は、答えが分かりません。彼女は万策尽きて、最後は答えを教えることで決着をつけました。
この二人の様子を見ていて思った事があります。今や答えだけなら、AIに聞けばあっという間に教えてくれます。しかしあの場で彼女は、彼に分かってもらおうと一生懸命知恵をしぼりました。彼は彼で何とか理解しようと努めました。こんなやり取りがあっての最後だったのです。彼女にとってこの決着のつけ方は、明らかに不本意でした。答えを教える時も、申しわけなさ気に小声で渋々という感じでした。しかし彼らは互いのやり取りを通して、相手の想いを出来る限り汲もうとしました。これは人間関係を築く重要な行動であり、通常誰もが無意識に日常の中で実践しています。お母さんは赤ちゃんに対して、子どもは大人が思う以上に、大人の気持ちを気にかけているのです。二人は答を導き出そうと、互いの気持ちを探り、推察し、試行錯誤する…そんな経験をしました。AIの可能性は今後増々広がるでしょう。しかし、このように互いの心を推し測り、新たな関係性を構築しようとする行動は、どこまで可能なのでしょうか。二人のやり取りを見て、人間とAIの在り方について考えさせられました。それでは皆さん、インフルエンザが猛威を振るう師走、体調には気を付けて、良いお年をお迎えください。 早川友教
今年は学童保育で、1・2年生の宿題をみる機会がよくあります。これがなかなか面白い、こんな事がありました。1年生に漢字の読みの間違いを指摘するのですが、自分は絶対正しいと言い張り、その根拠を見せてきました。読みには確かに〇が付いています。明らかに先生の誤りです。彼の主張も無理ありません(それにしても先生の影響力は大きい)。結局、読みは〇のままでした。又、間違いの一字だけを書き直せば良いと言っているのに、なんとそのページを全部消して始めからやり直したり、自分の宿題はほったらかしで、それ知ってる知ってると友だちの宿題を手伝うやら、算数の問題を普通に説明しているだけなのに、急に涙がポロリ(説明がどうしても分からず悔し泣き?)、消しかすを集める為だけに、消しゴムをごしごしこするわ(丸めて大きな鼻くそ?を作るため)、引き算の問題に自分の手だけでは足りず、私の両手を引っ張り出す等々、予想外の事が陸続と出てきます。そんなこんなですが、身に覚えのあることもあり、これやったやったと昔を懐かしんでいます。
これらの多くは男子の話しですが、こんな場面にも出会いました。一人の男の子と算数の問題をやり始めました。ところが彼は答え以前に、問題の意味が分かっていません。そこで問題文の説明から始めました。すると隣にいた同じ学年の女の子が、その様子に興味を持ち、急にいっしょになって説明を始めたのです。すでに自分はやり終えた所なので、自信もあったのでしょう。そこでしばらく様子を見守る事にしました。彼女は文や単語の意味を自分なりに説明するのですが、彼にはなかなか理解してもらえません。ヒントを出したり説明の方法を変えたり一生懸命です(説明は的をえていました)。しかしどうしても彼は、答えが分かりません。彼女は万策尽きて、最後は答えを教えることで決着をつけました。
この二人の様子を見ていて思った事があります。今や答えだけなら、AIに聞けばあっという間に教えてくれます。しかしあの場で彼女は、彼に分かってもらおうと一生懸命知恵をしぼりました。彼は彼で何とか理解しようと努めました。こんなやり取りがあっての最後だったのです。彼女にとってこの決着のつけ方は、明らかに不本意でした。答えを教える時も、申しわけなさ気に小声で渋々という感じでした。しかし彼らは互いのやり取りを通して、相手の想いを出来る限り汲もうとしました。これは人間関係を築く重要な行動であり、通常誰もが無意識に日常の中で実践しています。お母さんは赤ちゃんに対して、子どもは大人が思う以上に、大人の気持ちを気にかけているのです。二人は答を導き出そうと、互いの気持ちを探り、推察し、試行錯誤する…そんな経験をしました。AIの可能性は今後増々広がるでしょう。しかし、このように互いの心を推し測り、新たな関係性を構築しようとする行動は、どこまで可能なのでしょうか。二人のやり取りを見て、人間とAIの在り方について考えさせられました。それでは皆さん、インフルエンザが猛威を振るう師走、体調には気を付けて、良いお年をお迎えください。 早川友教